星枢観測所

あらし

 今日、台風に乗って何処までも行って、そのあらしと「ずっと向こうまで一緒に行こうね」と言って、笑いあった。
 けれどそのあらしは日本の東側の海上で消え去って、取り残された私は「また連れて行ってね」と、そんな言葉を投げかけた。太平洋の真ん中に放り出された夢を、目を開けたまま見た。
 太平洋の真ん中に取り残された私は、シャチに食べられそうになったり、サメと喧嘩しているところを逃げ出して、再びゆらゆら漂っていた。そんなところを何処かの国の船が通りがかった。国旗に見覚えは無い。そもそも私は国旗をあまり知らない。
 ただ漂流していた私は、何処かの難破船の生き残りだと思われたらしく、その船上げられた。船員たちは船乗りらしくガタイの良い外国人たちで、私の放す言葉は全く通じなかった。故郷である日本に連れて行ってもらいたかったけれど、言葉が通じないのでそれは叶わなかった。久し振りの食べ物を食べて、ふかふかのベッドで眠った。疲れていたのか、気絶するように眠りに落ちた。
 目が覚めると、そこはベッドのある部屋などではなく、人種もまばらな少年少女がたくさんいる部屋の中だった。手にはいつのまにか手錠が掛けられていた。実はこの船は非合法の運搬船で、人身売買の為に孤児達が異国へと密輸される途中であった。手錠もかけられて成す術のない私たちは、そのまま人身売買のネットワークに登録され、ある大きな屋敷へと売られてしまった。
 そこには似たような境遇のか少年少女が二、三人居た。奴隷のように酷使されていた。ある夜、部屋で少年達が集まって何かを相談して居た。近寄って話を聞くが、早口で小声の英語なので、何を喋っているのか分からない。何を言っているのか分からないので、身振り手振りで話をし始める。リーダー格の少年は、嫌そうに舌打ちすると、そっぽを向いた。けれど私はその話をずっと聞いていた。「リベリオン」という言葉が聞こえた。反復したら、頷いてもう一度その言葉を言われたので、きっと彼らはこの屋敷の住人を殺して逃げ出そうと企てているんだろうなと思った。なので、「キルゼムオール?」と聞いた。少年は驚いたように口を開いてこっちを見た。そして、にやりと笑って頷いた。私たちは拳骨を重ね合った。
 翌日、その屋敷の住人を全員、頑丈で細くて長い鉄の棒で打ち殺して回り、外にある指定の場所で待っている少年達のところへ向かったら、黒塗りの車と、高そうな黒スーツを着た男性が一緒に立って居た。その日は嵐であった。少年達が行くから一緒について行った。その男達はイタリアのマフィアだった。
 上等な着物を着せられた子供達は、まず言葉を教えられた。それがローマ字であったため、なんとも言えない気持ちになり外に飛び出す。晴天の空。庭には、緑色の葉っぱに雫が付いている。それを見て歩いて居ると、出入り門の近くまで来てしまった様だ。立派な服を着た少年が、大柄な男や麗しい女性を何人か引き連れて入ってきた。目が合った。
 ある日の夜、嵐がやってきた。屋敷の中を駆け回り、外へと飛び出した。雨雲と話をすると、最初に連れて行ってくれた嵐とは別の嵐らしい。それを知って、では貴方とは行けないなと返事をすると、屋敷からメイドが出てきて中へと連れ戻された。屋敷にいる間、何度か嵐が来たが、全て別人で、屋敷の中に閉じ込められたままだった。ある日、一緒に連れて来られた少年が帰って来た時迎えに行くと、腹に銃創を作って今にも死にそうだった。彼は部屋の寝床で熱に浮かされて眠った。屋敷の偉い人に助けを求めたら、直ぐに少年は処分されたので、その日来ていた嵐に引き上げてもらい、何処か遠くへと旅を再開した。彼が消え去ったのは真昼の砂漠であった。
 通りがかったラクダに乗った、ガタイの良い男性に助けられて、気が付くと布で作られた家の中だった。娘らしい少女に水を与えられる。お礼を言うが、彼女が何を言っているのかさっぱり分からない。棚の本を一冊見せてもらったが、アラビア文字らしい文は何処から読むかすら分からず、理解するのを放棄した。
 ほぼ水で出来ている体は外に出ることが叶わず、何も出来ないまま貴重な水だけ娘から与えられ、数日が過ぎた。近くに雨雲が来ている事を感じたので、飛び起きて娘さんに身振り手振りで伝え、出て行った。少し遠くにその雲はあったが、引き上げてもらい、先の村まで寄り道してもらって雨雲と連れ添った。
 寄り道した所為で、少し距離が足りなかったらしい。再び海へと投げ出され、気付くと砂浜にいた。裸足のままジャングルへと入って行き、木々の奥に文明のかけらを見つけた。薄灰色のビルディングが遠くに見えたのだ。先へと進むと、道路が伸び、車が走る都会であった。暫く進むと海沿いに小さな水族館が見えた。忍び込んでイルカショーを見ている。イルカ達の言葉が、いつの間にか分かるようになったらしい。たべものと寝床を確保するために、水族館で働く様になった。
 暫く水族館で働いて、色々な事が分かった。小さな魚達も、あまり細かくは考えていないが、大体何がしたいのか分かるようになっていた。キュイキュイ歌いながら、シャチと話す。此処には珍しく、シャチが一匹いた。彼とは気が合って、色々な事を話した。水の中が落ち着くので水槽の中に沈んでいる事が多かった。その時、息をしなくても良い事に気が付いた。水の性質に近くなっているのだ。館長は何も言わないが、人魚が人の姿になって来たのだと思っているらしい。
 ある日、知的そうな女性がやってきて、人魚を引き抜きに来たと告げた。
 従業員を大事にする館長は首を縦には振らなかったが、一週間だけバイトとしてという条件になったとき、人魚に話をした。しかし、此処もまた異国なので、分からないと身振り手振りで伝えた。お姉さんは英語が基本言語らしく、ゆっくりとなにかを喋った。人魚はお姉さんについて行った。
 英語は少しだけわかったので、拙い英語で「はろー」「ぐっもーにん」とかで会話をしていた。今までに比べれば意思疎通出来るレベルだ。連れて来られた先は海洋研究所らしく、海の見える柵のある場所にアシカが10頭ばかりいたり、傷付いたイルカがいたりした。お姉さんの言っている事は相変わらず分からなかったが、何となく生き物の容体を見ればいいのだとわかった。イルカにきゅいと話掛けると、きゅいと返された。「食べ物いらない?」「今お腹空いてない」「あそう。また後で持ってくる」みたいな会話をしていた。ある日イルカの水槽に潜った水中でイルカと話をしていた。お腹に傷があるらしく「もう痛くない」というイルカのお腹をつつくと、きゅうと悲鳴をあげた。人間は熱を持っているから火傷しちゃうかなと考えた。今の体温はどうなっているか、きっととても冷え切っているから大丈夫だろう。お姉さんに触ってもらったら、「Cold.」と言われた。お姉さんの手のひらは太陽みたいに熱かった。
 アシカ達を海に帰す日が来たので、研究所は船にアシカ達を乗せて流氷が沢山ある北の寒いところまで連れて来た。アシカ達を氷のあるところに放すと、人魚も海へと飛び込んで顔を出し、手を振って「ぐっばい」と別れを告げた。暫く泳いだら、くじらが泳いでいるところが見えた。
 その内北極に行って見たいと思い、陸に上がって歩いていた。特に防寒着は着ていなかったが、寒くて震える様なことはなかった。何故だか髪の色が真っ白に色が抜け落ちていた。吹雪が吹き乱れる白い世界を堪能した。ある時ある人間に出会って、手を引かれた。大人しくついていくと、吹雪のない、けれど寒い、緑の大地の上に白い監獄のような研究所があった。そこの一室に連れて行かれ、何不自由なく暮らしていたが、ある日、そこに閉じ込められていた事に気付く。それから暫く扉を引っ掻いたりして外に出ようとしたが、出られずに不貞寝していた。何日経っただろうか、爆発音がして、沢山の足音がする。足音が近付いて、何をしても開かなかった扉が、大きな音を立てて開かれた。そこには到底人とは呼べない姿の者や、人らしき者達が大勢いた。彼らも閉じ込められていたらしく、今日限りで出て行くそうだ。それは良い。それについていく事にした。途中に良くしてくれた博士の部屋があったため、入って肩を叩いたりして別れの挨拶を述べた。が、日本語だった為に恐らく通じなかったであろう。外に出ると、柵の向こうは崖で、海だった。何人かが躊躇し、何人かが飛び込む中で、ぽつぽつと雨が降って来たので海に飛び込み、嵐に連れて行って貰おうとしたが、その雨雲はその手を拾わず、ただ冷たく黒い海面へと叩きつけられた。代わりに、冷たい海は温かな心を持って、何処かへと運んで行った。
 海には遠くまで聞こえる層があり、鯨類などが会話をしているらしい。そこに落ちた時、ゆらゆらと漂いながら、鯨達の会話を聞いて、時々返事をしたりした。しばらくして、何だかやるせない気持ちに、何だか疲れた気持ちになったので、そのままずっと下、深い深い海の底へと沈んで行った。砂浜に触れた時、視界は真っ暗で、光は全く届かない様だった。そしてしずかに目を閉じると、今まで感じていた流れが一切無くて、全てが停滞しているようだと感じた。少し漂うと、沈没船が見えた。それを見たとき、もうこの地球上には人間から逃れる場所が無いのだなと思った。底のハッチを開けて進んでいくと、浸水していない、古い空気のある空間へと辿り着いた。湿った、カビのような臭いと、磯の匂いが混じっている。一つの船室の扉を開くと、小さな部屋の中に、ガラスの小瓶に活けられたプラスチックの色褪せた花、木製の小さな物書き机と椅子、朝焼けが描かれた風景画などが飾られてあった。小さな物書き机の椅子に座って、机に突っ伏し、深い眠りに付いた。
 小さな物音、それから扉が開かれる音によって目が覚めた。潜水服を来た男女が居た。二人は海賊らしく、この辺りにまだ物色されていない沈没船があるから漁りに来たのだと言う。人が居るとは思っていなかったらしく、いつから居るんだと聞かれたが、ずっと眠っていたので分からず、「ずっと?」と答えた。ちょっと返事を間違えたかもしれない。
 空気のある船室空間は、眠りに着く前歩き回ったので、少しはわかる。金目の物と言うので操縦室へと案内しようとしたら、途中で倒れていた骸骨を漁り出し、小さな金属の塊を取り出してにやにやと笑っていた。それが価値のあるものなのと聞くと、あぁそうだ。こいつは勲章だ。良い金になると言った。分からないものだ。それは知らないものだ。もしかしたら既に人間の価値観から離れてきているのかもしれない。金などに綺麗以上の価値を見出せなくなっていた。なので、それでこの人達が満足するならと、骸が一杯ある場所へと案内した。女の人は喜んでいた。男の人は一緒に船へ上げてくれると言い、女の人は手間賃がどうこう言っていたが、結局三人で下げられたアンカーを握って引き上げられた。そこには見知らぬ人が更に二人居た。先程の男性は何処から来たのと聞いた。それで、そういえば、何処から来たのだろうと思い至った。故郷の記憶が遠く薄れている。分からないと言ったら複雑そうな顔をされた。女の人は奴隷市場に流す話をしている。それは困るので、船から飛び出して音の層へ沈み込み、大きな声で誰かを呼んだ。遠くからイルカがやってきて背中に乗せ、船を水中で通り越してジャンプした。飛沫がきらきらと輝いた。晴天だ。それから暫くイルカを旅をした。そろそろ群から離れるからと、イルカは鳴いた。乗せてくれてありがとうと頭を擦り付け、ゆったりとした速度で何処かへと向かい出した。
 イルカも見えなくなり、四方が水平線しか見えなくなった頃に、嵐がやってきた。それは、一番最初に旅をした、あのあらしであった。空まで引き上げて貰うと、もう一度会えたねと言って、遠くを目指して旅をした。そして、あらしが消える頃になって、微笑みあった。そして言う。今度こそ、一緒に行けるね。そう言って、二人は消え去った。数々の跡を残して、雲の隙間から光を残して、消え去った。